おいたち

1950年長岡市高野町で四姉妹の末っ子として生まれました。 地元の福戸小学校、中学校に学びました。高校は長岡大手高等学校です。この校名になって、初めての卒業生となりました。長岡赤十字高等看護学院、新潟大学医学部付属助産婦学校をへて長岡赤十字病院に就職しました。 以来27年間産婦人科を中心に勤務し、92年から産婦人科婦長、新病院移転後は産科婦長として勤めました。 市会議員立候補のため99年末に退職し、翌年の四月の市議選で多くの皆さんから応援をいただき、3651票(第四位)で当選することができました。
2期勤めた後、07年春県議に挑戦し、多くの皆さんの応援を得て当選をさせていただきました。 いま、2千人の赤ちゃんを取り上げた助産師の経験を生かして、「福祉の心」を持つ県政を目指して、調査、研究、発言、行動に一生懸命がんばっています。
議員になって
まず、急いで自動車免許をとりました。今、ピンクのVITZが私の足がわりです。世界が大きく広がりました。 そして私は、「いのちを大切にする看護婦としての仕事場が市役所、県庁になった」との思いで毎日の活動を行なっています。長岡市議会では、福祉、教育問題を中心に、毎回の定例会で必ず質問を行ない、所属の委員会でも積極的に発言を行なってきました。 余談ですが、先輩議員から健康についての相談などもあり、その点でも役に立って来たと思います。市議会での所属は、文教福祉常任委員、少子・高齢対策特別委員、民生委員推薦委員 でした。
県議会の所属は、08年6月議会後から厚生環境常任委員会、地域活性化・総合交通対策特別委員会になりました。
家族と趣味と
信濃川のほとり、水道公園に隣接する水道町四丁目に住んでいます。次男が結婚して家を出ましたので、団体職員の夫、長男の三人家族です。私のやることには結構意見や注文の多い家族です。それが励みになってがんばるパワーの源になっているのかも知れません。私の趣味はバレーボールと生け花です。忙しくてバレーボールは出来ないでいますが、なんとか時間を作って、気だけではなく身も引き締めたいと思っています。花は、自宅の玄関や床の間に活けていますが、このとき一番気持ちが落ち着きます。
私のこと
身近に母という助産師の先輩がいたこともあり、他人の役に立つ仕事がしたくて助産師の仕事を選びました。病院での27年間は充実した期間でした。母子の幸せを願い、良い看護をしようと職場の仲間と協力しながら仕事をしてきました。その中で、他人の幸せを願って献身的に活動する先輩党員の姿に感動し日本共産党に入りました。従軍看護婦として戦地に赴き、戦争により命を落とした先輩たちのような時代に再びもどしてはならないと、平和への思いも強く持ち続けています。
改憲をめざす国民投票法が成立しましたが勝負はこれから。国民大多数の「戦争はいやだ」「平和でなければ」という声と一緒に、憲法、とりわけ9条を守るために力の限りがんばっていきたいと思っています。
いまの介護保険は、高齢者や低所得者など弱い人の支えになりきれていないのが現状です。加えて医療制度もまた改悪され、不況の中で厳しい生活を強いられている人々も増えてきました。いのちを大切にする「福祉の心を持つ県政」実現のために、ますます私の存在価値が高まってきたと自負しています。もっと調査研究をすすめてがんばっていかなければと思っています。



